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早起きと母親の心の健康

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youtubueでたまにVlogを見る。 「主婦 モーニングルーティン」で検索すると 5時起き、4時起き、3時起き… まだ夜じゃん…凄いママたくさんいるなあ 私も頑張らないと… って思って6時にアラームセットするけども 一向に起きない。 目は覚めてるけど、ベッドから起きたくない。 そうこうしてるうちにいつもの時間。 それでまた思う。 「私はダメだなあ」と。 何度繰り返したかわからない、この考え。 朝起きれないのに無理に起きなくてもいい、と思う。 今の起床時間でなんとか回ってるならね。 子どもは思うように動いてくれないし、 食べるのも服着替えるのも遅い。 母親だけがバタバタしている。 なんとか回ってるなら、無理に早起きしようとして でも起きれなくて自己嫌悪するよりは今のままでいい。 大事なのは、母親の心の健康。 自分の経験談だが、 長年、ギリギリで起きてギリギリで仕度して子どもたちを保育園へ送って仕事へ行っていた私は、近頃早起きできるようになった。 あきらめていたのに。 理由は早寝だった。 もっと言うと、寝る前、スマホをいじる時間をなくしたから。 前は0時超えて寝るのが当たり前。むしろ0時すぎないと寝れない。 今は11時頃にはもう寝てる。 これは母親の心の健康に深く関わってると思う。 一日、仕事・育児・家事で終わる。 自分の時間は休憩の隙間時間だけ。 40分、5分、それも完全には一人にならない。 「自分の時間が欲しい」 これが、夜更かしの原因だし、私以外にも共感してくれる母親はいると思う。 この欲は、欲張りだろうか。 いやあ、欲張らせてくれよ。 だれにも迷惑かけてない。 一人でスマホをいじってるだけ。 それでも朝、ギリギリだけど、子どもたちの送迎はしている。 早起きできない、という不満を探ってみたら、 母親の心の余裕と時間について考えることになった。 私はなぜ早起きできるようになったのか。 それは次回書くことにします。 恐らく、「目の前のことを(文句を言わず、考えず)ただやるだけ」 を貫いたからだと、思います。 ご覧いただきましてありがとうございます。 あなたにとって今日も色鮮やかな一日になりますように。

それは私が決めること

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今の私は幸せかどうか。 美味しいご飯を食べている。 雨風しのげる家に住んでいる。 好きな服を着ている。 衣食住すべて満たされている。 「今のあなたは幸せよ!」 義母に以前言われたことがある。 何度もある。 そのたびにモヤっとする。 好きな人と結婚できた。 子どもも3人いる。 外から見たら何不自由ない生活。 でもその言葉は他人の口から言われたくないなとも思う。 子どもの世話を助けてくれる義父母 家賃の支出もないから貯金できる 確かにそう。 でも、それを本人に言うってことは、私がそう思ってないかもしれない、という不安があるんじゃないの? 「今のあなたは幸せよ!」 これは私が決めること。 幸せかどうか、他人が決められない。 それは押し付け。 そんなものいらない。 人には誰でも善と悪、明と暗があると思う。 善、明の部分だけではその人の全貌は見えない。 当然に義母も善の部分はある。 これは暗。 人の心が読めない、配慮が足りない暗。 こういわれたとき、私は反応しないようにしている。 怒ったり、泣いたりしない。 ましてや旦那に言って、旦那から義母に怒らせない。 「へぇ」 で終わり。 何度も聞くと耳も慣れる。 私の心もマヒしてしまった。 強くあれ。 ご覧いただきましてありがとうございます。 あなたにとって色鮮やかな一日になりますように。

青い空と燃える心

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今日も空は青い。 私の感情を無視して、今日も空は青い。 私は赤く燃えている。怒りに満ちている。 でも、もう不満ばかりを口にするのは嫌だ。 愚痴や不満しか言わない口。 愚痴からはなにも生み出さない。 言って解消するだけ。 その場しのぎ。 有意義なことをしたい。 その不満と愚痴になった根源を根絶したい。 もう二度と不快な感情にならないように。 でも、そうはいかない時だってある。 根本的な問題はわかってるのに、身動きできない状態。 私は見えているのに。 でもできない。 もどかしい。 くやしい。 自分が前に進むしかない。 自分が背負って、進むしかない。 だれも背負いたがらないから、だから前へ行ける。 背負わされるとは思わないで。 自分が望んで背負ってると思って。 そしたら、いくらかは軽くなるから。 今日も空は青い。 燃える赤い心は、やがて空へと舞い上がる翼になる。 ご覧いただきましてありがとうございます。 あなたにとって素晴らしい一日となりますように。

丸と星。建前と本音。

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「正直」に言うことが正義だと思っていた。 曲がったことは大嫌い。 私に不満があれば正々堂々と言ってくれ。 10代の頃のとんがった性格。 そのまま30代に突入したらどうなるだろう。 私が大好きなCMがある。 サッポロの黒ビールのCMで妻夫木聡が出演していた。 「丸くなるな、星になれ。」 このキャッチコピーが大好きだった。  嫁という肩書には果たして丸か星か、どっちが合うのだろう。 旦那はそのとんがった星の部分、その個性が好きになったのかもしれない。 「そのままでいいよ」と言ってくれるかもしれない。 三世帯同居の場合は? 義母や義父にとっては星は刺さりすぎてご老体(失礼)に刺激的すぎる。 「丸くなって欲しい」と言ってきそうである。 私は、どちらも使い分ければいいと思う。 丸も星も私の一部。 丸くなったら星が消える、個性が消える、ということはない。 もし、それが心配なら旦那に、そ横断できる大切な人に言えばいい。 「私がもし性格が変わったり、自分が自分じゃなくなった感じがしたら教えてね」と。 丸と星。 建前と本音。 世渡り上手な嫁は、きっと何通りもの顔を持っている。 相手によって話す言葉や、どの程度まで濃い内容の会話ができるのかを、常に図っている。 私はまだそのレベルまで到達できていない。 だから思う。 都内にしてはなかなかのいい建物に住んでる50代手前の奥様。 長髪で帽子をかぶって、痩せた手で小型犬と散歩している。 この人も義父母と同居している。 長年苦労したのかもしれない。 その痩せた姿を見ると、私は心強く思う。 「この女性は心が強いなあ」と。 見た目は痩せてても、ブレない心があるから、今こうやって今日も生きている。 凛として歩く後ろ姿を、私は自分と照らし合わせてみる。 よし、今日も私のできることを一つずつやろう、と。 人生百年時代。 楽しく生きてやろうじゃないか。 今日もご覧いただきましてありがとうございます。 あなたにとって今日が彩り豊かな一日になりますように。

意外と君は強い、という話。

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三世帯同居を始めて約5年。 5年を日数で計算すると約1826日。 時間で計算すると43,800時間。 いろいろなことがありました。 「いろいろなことがありました」 では済まないこともありました。 それでも今日まで、三世帯同居を続けられてるのは、 わが子を守るため、これだけですね。 「母は強し」って誰が考えた言葉だろう。 旦那でも、義父でも義母でもなく、 妻であり嫁であり、母であってほしいな。 誰でも精神論は嫌いな方だと思う。 私もそうです。 「風邪は気合で治る」と言っていた義父を 「へぇ~」であしらっていたのはいい思い出。 もし、5年前の自分にメッセージを伝えられるなら、こういいます。 「意外と君は強いし、なんとかなる。大丈夫。」 個人差はあるけど、世の中のお嫁さんやママは頑張っている。 それなのに「頑張ってね」とさらに追い打ちをかけるような発言はしない。 過去の私も、頑張っていた。 義母がよく言う。 「昔の私の方が大変だったのよ」と。 本当に大変だったと思う。 昭和時代の大家族。 姑、小姑、姪、甥に囲まれた生活。 私には想像できない苦労をしたと思う。 でも、苦労を測ってはいけないとも思う。 他人の苦労と自分の苦労は測って何になるのかな? 「私の方が苦労したのだから、あなたの苦労は苦労じゃない」 こういうメッセージが含まれているなら、どうぞ口を閉じてほしい。 そしてこれを言われたお嫁さんには、どうか受け流してほしい。 「へぇ~」 これだけで、いい。 あとは旦那に愚痴っておしまい、旦那との秘密。 わざわざ姑に反論するまでもない。 姑も大した意味で言ってないし、(それがむかつくんだけど) これでイラっとしたら向こうの思うつぼ。 私の処世術は長い長い道のりです。 長い長い時間をかけて、旦那の家に溶け込んで、 徐々に違和感をなくします。 5年。約1826日。 いろいろな理由があって、それでも、別居できない方へ。 前に進めば景色は変わります。 ご覧いただきましてありがとうございます。 今日もあなたにとって彩り豊かな一日になりますように。

三児の母の幼児教育事情

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「一日をどう効率よく、何事もなく無事に終えられるか」 これが私のミッションだった。 三児の幼児教育。 一人目が一番時間に余裕があった。 二人目、三人目と続くと、どんどん余裕がなくなった。 正直、幼児教育を考えるほど余裕はなかった。 でも、知育玩具は買ってあげたいという思いはあった。 我が家にも、流行りのモンテッソーリ教育の玩具がある。 ちゃんと遊べたのは一人目だけだった。 末っ子は1回だけしか遊んでない。 最近こう思う。 いい教育したいなら、母親の心の余裕と、時間の余裕が必要なんだって。 これがないと、無理に知育玩具で一緒に遊んだところで、 思い通りに遊んでくれない子供を見てイライラするだけ。 それなら、やらない方が親と子、どっちにも良い。 急ぐことはない。 子どもにいい教育をしてあげたいなら、 まずは親に心の余裕ができてから。 第一に親の心の健康。 第二に幼児教育。 これぐらいがちょうどいいと思う。 幼児教育は大抵親と一緒にする教材が多い。 もちろん赤ちゃん一人で遊ぶには、長く持たない。 赤ちゃんと親が一緒に遊ぶ、学ぶ。 この過程が、大切なんだと思う。 目に見えないけど、無視できない過程。 やがて、わが子への糧となる経験。 笑った親の顔をみて、わが子も笑い、 びっくりした親の顔で、わが子は笑う。 そうやって、こどもは感情を表現することを学ぶ。 私が赤ちゃんだったら、一緒に楽しく遊んでくれる、よく笑うお母さんがいい。 自戒も込めて。 ご覧頂きありがとうございました。 あなたにとって明日が彩り豊かな一日になりますように。